Kieślowski's First Love(キェシロフスキの『初恋』)

キェシロフスキの研究書の翻訳が、去年、今年と続いて出版された。

キェシロフスキ映画の全貌

キェシロフスキ映画の全貌

ふたりのキェシロフスキ

ふたりのキェシロフスキ

この2冊もちゃんと読んでおかなければならない。

とりあえず、とっかかりに、特集上映「キェシロフスキ・プリズム」で見ることのできた短篇ドキュメンタリー『初恋』についての記述を部分を読んでみることに。

『初恋』は、ありきたりのロマンティックな常套手段を排した変形ラヴストーリーだ。一九七〇年代中頃のポーランドの現実という魅力のない世界を背景にしている。共産主義時代ならではの障害の数々を若い二人は乗り越えて行かなければならない。 (ハルトフ 43)

「変形ラヴストーリー」と言えば、言えるのだろうが、要するに、いま風に言えば「できちゃった婚」をする男子大学生と女子高校生の、妊娠がわかってから赤ん坊が生まれ、不安を抱えながらも育てていかなければいけない、と覚悟するまでを追ったドキュメンタリーだ。キェシロフスキ的なテーマに即して、(望みもしないのに妊娠してしまった、という)〈偶然〉を(ともかく誕生してしまった以上は育てて行かなければならない、という)〈運命〉として引き受けるまでの物語と言い換えてもよいのかもしれない。

 キェシロフスキは伝統的で純粋なドキュメンタリー映画から徐々に離れ、ドラマ効果を出すため、作品には綿密な演出を加えるようになった。彼の言う「操作的」または「挑発的」シーンである。しかし、それでもキェシロフスキの観察眼が変わることはなかった。こうした手法はかえって隠れた現実の姿を暴くのに役立った。(ハルトフ 42)

(そもそも「伝統的で純粋なドキュメンタリー映画」とは何か、という問いはひとまず措くにしても)こう言ったあと、ハルトフは「その好例」として『初恋』について議論していくのだけれども、述べられているのは、撮影の現場でのよくありそうな狭い意味での「演出」のことばかりで、この映画のもっとも印象的な音声(サウンドトラック)の演出や、編集による演出については一切ふれることがない。

他方、インスドーフは、『初恋』を次のような映画だと要約する。

『初恋』はその題名にかかわらず、とうていロマンティックな映画などではない。情熱や求愛やエロティックな交わりなどではなく、この映画は妊娠した十七歳の女性がその恋人と夫婦になる過程を追っている。(インスドーフ 41)

こちらの方が、より的確にこの作品をとらえているように思える。補足するなら、この作品は「妊娠した十七歳の女性がその恋人と夫婦になる過程」で感じる不安と、その恋人が感じる不安を描いている。

インスドーフは、その「不安」な心理を出産時の病院でなり続けるブザーに見出しているようだ。

 キェシロフスキが撮る出産シーンは写実的だ。ヤドヴィガ[引用者注:妊婦]は陣痛に耐える。酸素供給器が十分に作動しない。女性看護婦は人手がないとぼやき、背後ではブザーが頻繁に鳴っている。ロマン[引用者注:その夫]は娘の誕生を知らされると、泣きながら母親に電話をかける。ベビーベッドで二人が、娘が自分たちより頭が良くなってほしいとか、自分たちと同じように幸せになってほしいとか、その将来について話しているところで映画は終わる。(インスドーフ 42)

ブザーの鳴り響く音への着目はきわめて正しいのだけれども、それが「写実的」な音(サウンドトラック)であったか、と言えば、そうではないだろうし、さらには、家に赤ん坊を連れ帰ってからというもの、画面に赤ん坊が写っていようといまいと赤ん坊は泣き通しであった、より精確には、鳴き声が間断なく鳴り響いていたことの方がより重要だろう。すくなくとも、そうした音声の演出は「写実的」ではないからだ。

ともあれ、『初恋』について書かれた箇所だけ読み比べると、どうやらインスドーフの方が、より信頼できそうだ。