This Is a Story about Money(これはお金についてのお話です)

・『僕の彼女はどこ?』(Has Anybody Seen My Gal?, 1952)


At least "Has Anybody Seen My Gal," [. . .] has some pleasant ingredients. This Ted Richmond production for Universal-International was intended to be one of those mellow, wholesome little family comedies with a reassuring message. Against a small-town background of the twenties, which includes Technicolor mounting and a generous assortment of raccoon coats, short-length dresses and vintage tunes, Charles Coburn and a personable group of studio confederates are endeavoring to prove that money isn't everything. There are folksy chuckles all along the way and the performances are gamely enthusiastic. But the film has been fashioned with such off-handed slickness that the average customer may rue his contribution at the box office. (The New York Times, 5 July 1952)

A Fictitious Story Wouldn't Prove Anything(作り話じゃ何も証明できんよ)

アテネフランセ文化センター
・『合理的疑いを超えて[条理ある疑いの彼方に]』(Beyond a Reasonable Doubt, 1956)

A trick ending wraps up the melodrama in "Beyond a Reasonable Doubt" but comes a little too late to revive interest in a tale that relies too often on pat contrivance rather than logical development. Fritz Lang's direction does what it can to inject suspense and interest but the melodrama never really jells. (Variety, 1 January 1956)

They do say that Douglas Morrow, who wrote "Beyond a Reasonable Doubt," the mystery melodrama that came to Loew's State yesterday, is a graduate of a law school and the holder of a couple of law degrees. But you'd never believe it from the manner in which the law is twisted and ignored in this film.

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While the purpose may be exemplary, the method the gentlemen employ is highly dubious as a practical exposition. And once it is revealed to prove their point, it should certainly put them in a pickle for conspiring to subvert justice and fool the courts.

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However, if you can swallow such arrant disregard for the law, you may find this a fairly intriguing and brain-teasing mystery film. For the story does have its unconventional angle (not many people try to "frame" themselves), the night-club atmosphere is noxiously alluring and Fritz Lang has directed the film well.

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This one may get by at Loew's State, but it wouldn't stand up in court. (Bosley Crowther, The New York Times, 14 September 1956)

Where's my dinner?(わたしの夕飯はどこだ?)

・『カラー・オブ・ハート』(Pleasantvill, 1996)

カラー・オブ・ハート [DVD]

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Much of ''Pleasantville'' concentrates affectionately on the television-perfect family into which the teen-agers have been dropped. William H. Macy brings a funny, touchingly naive bombast to the father's role, while Joan Allen truly does bloom as the mother. Ms. Allen gives a lovely performance as a housewife who cares most about lavishing vein-clogging food on her family (''And of course, a ham steak!'' she declares at breakfast time) until that rogue color begins creeping in. When it arrives at that fateful night when Dad gets home to find no dinner, ''Pleasantville'' recapitulates the changing family atmosphere of baby boomers' after the ''Father Knows Best'' years. (Janet Maslin, The New York Times, 23 October 1998)

I Won't Mean to but I Will(そんなつもりは無いけど、きっとそうなるわ)

・『いとしい人』(Then She Found Me, 2007)

いとしい人 [DVD]

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ヘレン・ハント主演・脚本・演出・プロデュースのロマンティック・コメディ(?)で、公開時に見落としていたもの。

脚本はよく書けている方だし、演出もそつがない。ともに省略は上手く、説明的なショットがほとんどなく物語が進んでいくのはとても小気味よく、100分というタイトな時間に収めたのは見事だ。

問題は、残念ながら、ヘレン・ハントが主演ということだろう。彼女が演じる主人公は39歳で、別に実年齢と役の年齢の違いは見ていて気にならなければどうでもいいのだけれど、39歳には見えないなぁと思って調べてみたら、撮影時44歳で、数字上はそれほど差はないにもかかわらず、それ以上に見えてしまう。撮り方の問題もあるかもしれないが。

あと、やはり、ロマンティック・コメディの主演女優としては、美人なのはたしかだとしても、チャーミングさが足りないように思う。新しい男(コリン・ファース)と上手く行き始めているのに、ついつい別居中の夫(マシュー・ブロデリック)と寝てしまう(というか、昼間にドアを開けっ放しで車の後部座席でヤッてしまう)と言う場面も、誰か他のもっとチャーミングな女優が演じていたら、もっとコメディらしくなったように思う。誰が適当かはすぐに思い浮かばないけれども。

物心着く前に主人公を養子に出した母親役のベット・ミドラーも良かったが、個人的には、どちらかと言えば悪い意味で少年のような大人のマシュー・ブロデリックが一番のツボだった。20年以上前の『フェリスはある朝突然に』(Ferris Bueller's Day Off, 1986)の頃と雰囲気がほとんど変わらないのはスゴい。

フェリスはある朝突然に スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

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Crime Doesn't Pay(犯罪は割に合わない)

・『真人間』(You and Me, 1938)

プロダクション・コードが厳格に適用されるようになって以後のギャング映画のヴァリエーションであって、終盤であきらかになるように、後のハワード・ホークス(Howard Hawks)の『教授と美女』(Ball of Fire, 1947)同様に、『白雪姫と七人の小人』の翻案と見ても良いだろう。『教授と美女』の場合は今見てもそれとすぐにわかるように演出されているが、『真人間』の場合はかならずしもそうではないのは、前年にディズニー版『白雪姫』(Snow White and the Seven Dwarfs, 1937)が公開されており、当時の観客にとっては、『真人間』が『白雪姫』を翻案してるのはあまりにも明らかだったからだろう。

全篇シルヴィア・シドニーがとにかく素晴らしいが、犯罪を犯そうとした夫=王子(ジョージ・ラフト)と彼の元囚人仲間7人集=7人の小人に、犯罪がいかに割に合わないかを、おもちゃ売り場で、黒板を使いながら具体的な計算をもとに教え諭す場面での聡明な顔がとくに良い。

フリッツ・ラングアメリカに渡ってからの最初の3本はいずれもシルヴィア・シドニーをヒロインとしており、聡明さからくる強さと過敏さからくる弱さ(ヴァルネラビリティ)が共存する難しい役をどの作品でも見事に繊細に演じている。

You're My Exception(君は“例外”なんだ)

・『そんな彼なら捨てちゃえば』(He's Just Not That Into You, 2009)

そんな彼なら捨てちゃえば? [DVD]

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気分転換に、去年公開で最近DVDが出たロマンティック・コメディを自宅で。

文化人類学」的なテイストと、ドキュメンタリー的なテイストを加味したロマンティック・コメディで、想像していたよりははるかに面白かった。主要なキャラクターの数が多いので、その全員がご都合主義的な偶然で一堂に会したりするとイヤだなぁとおもっていたらそんなこともなく(もちろん、スケジュールあわせが大変だから、という経済的な理由もあろう)、その分、散漫な感じを受けないではないが、うまくまとめ上げているように思う。(1話完結型のTVドラマの数回分を1本の映画にまとめたような感じだなぁ、と思っていたら、「セックス・アンド・ザ・シティ」のスタッフをはじめてするTVドラマスタッフが多く関わっていた。)

原題は、直訳すれば「彼が君にそれほど夢中になっていないだけ」とでもなるわけで、日本語タイトルとはそうとうニュアンスが違う。「そんな彼なら捨てちゃえば」とアドヴァイスしたくなるような女性登場人物はたしかに存在するし、「そんな彼」を実際に「捨てちゃう」登場人物も存在するので、作品全体からするとまったく的外れな日本語タイトルとも言えないととは思うのだが、「彼が君にそれほど夢中になっていないだけ」は、登場人物が口にする印象的な台詞の一節なので、原題のニュアンスにもう少し近いタイトルの方が良かったのではないか。

実際、「そんな彼なら捨てちゃえば」という台詞から想像できる状況と言えば、男に浮気をされたけれど、分かれられないとか、長年同棲してるのに、結婚する気がなさそう、というような状況であり、台詞は女友だちが口にしそうだ。(上でも言ったように、そういう状況は作中に確かにあるのだが、「捨てちゃう」場合は、誰からもアドヴァイスを受けることなく「捨てちゃう」ので、このような台詞が作中で口にされてもいない。)

一方で、「彼が君にそれほど夢中になっていないだけ」という台詞は、クレジットタイトルでの名前の順にかかわらず(一番上はジェニファー・アニストン [Jennifer Aniston])、実質的には物語の主人公であるジジ(ジニファー・グッドウィン [Ginnifer Goodwin])ーー彼女は男の気持ちを始終読み違えて一喜一憂するーーに対して、彼女があるきっかけで立ち寄るようになったバーの経営者のアレックス(ジャスティン・ロング [Justin Long])がするアドヴァイスの一節で、この物語の核心にも繋がる男の気持ちを見極める「ルール」として口にされるため、印象に残る。

そういった細かいことはさておき、ものすごくざっくりと思ったのは、日本の場合と違い、アメリカの場合は、TVスタッフのつくった映画はなかなかあなどれないな、ということ。